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あいのわ |ハナレグミ

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あいのわあいのわ
ハナレグミ
ビクターエンタテインメント
発売日 2009-06-24




光の先の闇を見に行こう 2009-06-28
優れた表現は、一面的な解釈を相手に与えない。優れた表現は、相手によって異なる価値観を浮き彫りにする。それは、表現というものが、世界が持っている多様な価値観の写し絵だからだ。
ハナレグミも、そんな多様な価値観をオファーする表現者のひとりだ。彼はデビュー曲’家族の風景’で、「どこにでもあるよう」で、実は日本では既に失われてしまった風景を歌っていた。だから彼の曲には、日々を生きることの喜びと悲しみが同時に滲み出てくる。とっても切ない。
久々に発表された4作目。これが素晴らしい。プロデュースを手掛けたポラリスのオオヤユウスケによる広がりのある音空間が、それぞれの音に生々しさを与えている。曲調は弾き語りからブルース、ソウル、スカ、レゲエ、ヒップホップ(AFRAのヒューマン・ビートボックス最高!) 、ジャムセッションまで、限りなく横断的でバラエティに富んでいる。そして、永積タカシの感情を揺さぶる歌。ここに、ぼくは往年のソウルシンガー達の幻影を見る。彼は、日本で数少ない、ソウルシンガーの系譜の末尾に位置するのだろう。レコードの中央にはカーティス・メイフィールドの’PEOPLE GET READY’が収録されているのも示唆的だ。
歌詞について。クラムボンの原田郁子による作詞が2曲、共作が1曲収録されている。そして、多くの曲で「あい」という歌詞が出てくる。彼が歌う「言葉になんてならない」それは、実に多彩な表情を持っている。今作で彼は「愛という価値観は、実に多様なものなんだよ。」とさりげなく掲示して見せた。そんな輪(レコード)が「あいのわ」だよ、と。
また、幾つかの曲では、現在の世界の暗い側面を歌っている。「あいの こども/ひびきあう しあわせ/おかねしかない せかいを/ぬりかえて いきてゆけ」。経済システムが揺らぎ、地球が悲鳴をあげる今。それはこれから先、さらに酷くなっていく。これから生まれてくる子供たちは、ぼくたちよりさらに過酷な時代を生きることになるだろう。そんな子供たちへの、静かな祈りのような曲でこのレコードは終わる。
「光の先の闇を見に行こう」。さりげなく、彼はそう呼びかける。どんな時代であっても、音楽は、歌は、こんなにも真っ直ぐに響く。歌っていこう。「いい事ばかりはありゃしない」2009年の日本で歌われた、楽しい夕べのソウル・ミュージック。

ハナレグミの不思議 2009-06-26
せつない曲の時には、「せつなさが際立つ繊細な声だなあ。」と思う。
楽しい曲の時には、「楽しさが際立つ朗らかな声だなあ。」と思う。

特に声色を使い分けるような、もしくは演じて歌うタイプの歌い手ではないのだが。
しかし、どんな曲でも、その曲の、空気感や、メッセージが際立つ。

たぶん、ひたすら、「そのまま」、「ダイレクト」なのだろう。
何を計算するでもなく、何か技巧に走るわけでもなく、
まぎれもなく、本人の本心が、歌っているのだろう。
究極の「本人歌唱」である。

いや、楽しい曲を楽しい声で、切ない曲を切ない声で、って、
当たり前のように思えることなのだが。
しかし、聴いている人間に、心の震えまでもが伝わるような声、
というのは、なかなか無いような気がする。
「直」の歌だから、そこまで伝わってきてしまうのだ。

「なんにだってなれるぜ どこへだって行けるんだぜ」(「光と影」)

そんな真っ直ぐな言葉は、普通だったら、ちょっぴり気恥ずかしくて、
直球ど真ん中に受け止めることなんてできないものなんだが。

永積崇の声だったら、ちゃんと「わかる」のだ。真ん中に届くのだ。
しっかりここに受け止めて、
本当に、「なんにだってなれる」し、「どこへだって行ける」ような気持ちになる。
そんな気持ちになって、胸が、きちんと熱くなるのだ。
いい歳のオッサンである私の胸も。

ただひたすら素直に、
音楽っていいな、って、思わせてくれる、ハナレグミのアルバムでありました。




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